予約購入していた金川晋吾著『明るくていい部屋』が届いた。
出掛ける前の珈琲のお供にと手に取ったら、そのまま一気に読み耽ってしまった。
金川晋吾という写真家の存在を知ったのは、一年半ほど前、思いつきで藝大博論を読み漁っていたときだった。
河原町丸太町の誠光社で金川晋吾著『いなくなっていない父』を偶然見つけたとき、写真作家が対象との関係を語るというのはどういうことなんだろうと思って、その場で衝動買いをした。製本がキチッと頑丈で綺麗な本だな…と脇目を振りながら開くと、自分が知らなかった家族との向き合い方が書かれていて、その正直な文体と写真に強く惹かれた覚えがある。
それから少し経った頃、自分は家族、祖母や両親を撮影することに挑戦していた。高齢の祖母が生きている様子を撮っておきたい、記録したい、という思いが最初にあった。だけど、当時は影響もあってか、もしかしたらこれが作品になるかもしれないという下心がどうしても頭をよぎってしまうことが嫌だったのと、家族に不快な思いもさせてしまって、途中からうまくいかなくなっていた。
当時の自分はかなり焦っていて、何か作品を作らないと話にならない、写真を撮るなら物事の表面をなぞるだけじゃなくて、もっと奥に入っていかないといけない、だからとにかくやってみるんだ、という漠然とした動機で動いていて、そういう青さは今でも持っているし、失敗にも同情できるけれども、自分の悪癖、自分が身内と思っている相手に対して甘えすぎてしまう、独りよがりの思いを平気で押し付けてしまう幼さのせいで、無遠慮なカメラの暴力で相手の尊厳を傷つけてしまったことが、ショックでならなかった。
そういうことだったので、身内である他人の身内にしか見せない姿や、生活の様子、日常の生き様を写すことに強い抵抗を抱くようになってしまっていたのだけど、以前よりむしろ渇望するようにもなっていた。親しい友人と会うと何かにつけ撮りたくなるし、他人の生活をもっともっと覗いてみたい、同居人の目線から、その人が何にこだわって、何を感じながら生きているのか知りたい、と思うようになった。
そこに流れてきたのがこの『明るくていい部屋』刊行の知らせだった。表紙や本文サンプルの写真に目が奪われた。そして3人の「家族のような」関係に興味が湧いた。というのも、自分も一度ポリアモラスな関係について考えたことがあったからだ(今よりもっともっと幼い、十代の頃の話だけど)。とにかく、これはすぐに読みたい、いま手に取るべきだ、と思い、痛む懐をおさえつつ、すぐに予約したのだった。
本の内容は、紹介されている通り、三人、そして四人での共同生活を写真と文章で綴るドキュメンタリー。写真も文章も結構なボリューム。写真パートは三人が同居を開始する頃から始まり、四人目を迎えて今年に至るまでの約5年半を時系列順に進んでいく。写っている人たちほとんどが穏やかな表情をしていて、翻って撮影者も穏やかな目線を向けているように感じられる。金川さんも含む色々な組み合わせで写っていて、リビングの円卓にいつもカメラが置かれている様子から、彼らが普段からお互いを撮り合っていることが序盤からわかった。自分は撮ることも撮られることも大好きなので、のびのびフリーダムな一人暮らしを満喫している今も、自分の生活の写真があまり無いことがさみしいし、そのあたりの感覚が一致する者同士で出会えていることを羨ましく思う(撮られることの喜びについて、同居人も頻繁に生活の写真や映像を撮っていることについては文章パートでも触れられている)。
光あふれる写真群は、幸せそうな暮らしの穏やかな一面だけを切り取っているけれど、もちろん衝突が無いわけはないようで、文章パートには、他人と同居することに付きまとう苦労についても具体的なエピソードとともに描かれている。食事担当の決まり方や各々の特性、他者への配慮の意識について感じていることなど、金川さんの視点から語られていて、そういう苦労をいつかこれから経験するだろう自分にとっては少し勉強にもなる。それぞれから始まった人間関係の、女男男の共同生活を経てひとつの関係に落ち着いていく様子が、字義にはまらない表現を模索する過程も交えながら飾りなく綴られていて、まっすぐな気品を感じるし、写真と文章を往復するドキュメンタリー大好き…という形式的なところへの好みは置いておいて、この人たちや繰り返される暮らしの存在を、そこにある価値観も含めて、強く肯定したくなる本である。
「私が誰かと一緒にいることを模索しようとするのは、私のなかにさみしさがあるからだ」。書籍紹介文にも引用されているこの一文に強く共感する。だけど、共同生活なんて想像するだけでもう、今の幼い自分にはできる気がしない。同時に、やってみないと変われないから、とりあえずやってみたい、とも思う。
自分は、自分自身のことをもっと深く知りたいし、自分をもっと自由に表現できるようになりたい。そのためには、なんとなく、具体的な他人と出会うことで自分の望みを具体的にしていくしかないと思っているし、これはちょうど金川さんの言うこととも一致するから、きっとそうなのだと思う。これから自分がどう生きてどう変化していくのか、今ある望みは叶うのか、いつも楽しみ半分・不安半分だけど、どこにだって道はあるみたいだし、まあなんとかやってくれ自分。そう思わせてくれた。
土曜の昼下り、カーテンの隙間から強く差し込んでいた陽射しもいつしか傾き、やわらかい光が部屋を包みこんでいましたとさ
すっかり秋ですね
おわり